富山県高岡市伏木古国府にある重要文化財・勝興寺は、「ふるこはん」の名で親しまれているお寺です。平成10年に本堂から保存修理が始まり、令和2年まで23年掛けて、重要文化財に指定されている12棟のうち、いよいよ最後の「総門」の保存修理工事が完了しました。現在は、景観の整備を進められ、来春に平成の大修理を終えて公開される予定です。
思いもかけず雪になりましたが、平成の大修理を終えた勝興寺を見学して来ました。
勝興寺の歴史
本願寺8世 蓮如上人が、文明3年(1471年)に越中の布教の拠点として、砺波郡蟹谷庄土山(現在の南砺市福光土山)に土山御坊を開いた後、蓮如の子孫が代々住職を務めました。本願寺が門跡に任ぜられると、他の寺院とともに院家に任ぜられるなど、真宗王国越中における代表的寺院であり、本願寺を支える連枝寺院の一つとして重要な働きを行ってきました。
永正14年(1517年)寺号を本山に申請し、佐渡で廃絶していた 順徳上皇勅願所「殊勝請願 興行寺」を再興相続し、勝興寺と名乗ることを認められました。戦国時代には、越中一向一揆の旗頭として活躍し、越前朝倉氏、甲斐武田氏などの戦国大名や、本願寺、京都公家などと関係を深めました。当時の複雑な政治情勢の中で、二度の移転を経て、天正12年(1584年)に現在の高岡市伏木古国府に移ったそうです。藩政時代に入ると加賀藩前田家と関係を深めるようになり、越中における浄土真宗の触頭として繁栄してきました。
前田 治脩を知る
前田治脩(まえだ はるなが)は、加賀藩5代藩主 前田吉徳と側室・夏(寿清院)との子供として生まれました。藩主の10男というのは、序列は極めて低く、本来藩主の座などとても望めない立場でしたので、誕生の翌年の延享3年(1746年)4月には、勝興寺の住職なることが決まりました。6月には、尊丸と名前を改め、宝暦(1755年)11月には勝興寺に移り、宝暦(1761年)3月には得度して「闡真」と名乗りました。17歳でした。しかし、その後、次々と兄たちがなくなり、7男の重教が藩主を継いだころには、9男の利実を残すのみになっていました。明和3年(1766年)には、利実も亡くなり、重教や他の兄たちにも男子がなかったため、重教の命により、明和5年(1768年)に還俗しました。還俗とは、一度出家したものが俗人に戻ることです。翌年2月には金沢に移り、俗名で名前を時次郎に戻した後、諱を利有としました。
明和8年(1771年)4月には、重教の隠居に伴って家督を継ぎ、将軍 徳川家治より偏諱を預かり、治脩に改名し、10代藩主を就任しました。寛政4年(1792年)には加賀藩の藩校である明倫堂と経武館を開校させ新井白蛾などの学者を招き家臣の教育にも尽力しています。享和2年(1802年)には隠居し、文化7年(1810)死去、享年66歳でした。
勝興寺の本堂は、その前田治脩の支援を受けて、西本願寺の阿弥陀堂を模して寛政7年(1795年)に建立されたものです。
デカローソク
本堂には、燭台を含めて高さ約3メートル(ローソクのみは、 1.8m)のデカローソクがありました。明治以降、1年交代で法要のろうそくを寄進してきた寺周辺の2集落が、ろうそくの大きさを競い合った結果、「デカローソク」となったのだそうです。
勝興寺にある七不思議
勝興寺は、七不思議の寺としても有名です。その七不思議を一つずつ確認してきました。
①実ならずの銀杏
境内の前庭には樹齢300年余のイチョウが二本立っていて、その内の一本が「実ならずの銀杏」。 昔、子どもが銀杏の実を採ろうとして木に登り、そこから落ちて大怪我をしたり、実の取り合いなどでケンカが起こったりしたため、 住職が今後こんなことがないようにと祈願したところ、翌年からは一粒の実もつけなくなったといわれています。
②天から降った石
200年ほど前に国分の浜に天から落ちてきたと言われている石。夜になると波が当たって泣いているような音がするので、勝興寺の本堂前に置いたところピタリと音が止んだと言われています。雪が積もっていて音はするかなーと思いながら、実際に叩いてみると石の先のところを小石でたたいてみるとキーンという音がしました。
③水の枯れない池
本堂の南側にあります。勝興寺で火事があった時に、経堂重層屋根に彫られた龍がこの池の水を口に含んで火を消したと言われます。それ以来この池の水はどんな干ばつの年でも決して干上がることがないそうです。
④屋根を支える猿
本堂の4隅上部に屋根を支えているような格好をした不思議な生き物。長年、「猿」であると言われてきましたが、近年になって裸にふんどしをつけた「天邪鬼(あまのじゃく)」だと判明されたそうです。天邪鬼は、故意に人に逆らう言動をすること。心の中では「そうだ」と思っていても、あえて逆らうようなことを言ったり、ひねくれた行動をしたりすることを指します。正反対のことをやるへそ曲がりなので、建物の屋根を頑丈に支えてくれるらしいです。本堂の屋根と柱の間にあるので、なかなか肉眼では見にくかったのですが、本堂に飾ってあったレプリカを見ると確かに猿とはちがうなーと思いました。
⑤魔除の柱
本堂は、ほとんどがケヤキの木で作られているのに、一本の柱だけが桜の木で、逆さ柱として使用されており、この時代では何か一つ欠点を作ることで魔除けとしたそうです。
⑥雲龍の硯
蓮如上人の愛用品で、親鸞聖人の教えを広く民衆に判り易く伝えるために文章を書かれるときに使われたものです。「蓮如上人が筆を取ると自然と水が出てきた」と伝えられています。勝興寺の山号である「雲龍山」は、この硯の名前が由来です。自然に水が湧き出るという不思議な硯です。
⑦三葉の松
松は一般的には葉が2つの二葉松。勝興寺は、葉を3枚つける松の木です。今では探さねば見つからず、見つけると極楽往生できるといわれています。ダイオウショウも3本ですが、北アメリカを原産とするマツ科の常緑針葉樹なので、在来種の3葉は珍しいのだそうです。
あらためて、七不思議を確認してみると面白い。広い敷地の中に普通に存在しているので、看板がないと気が付かないくらいです。ただ本当に素晴らしいお寺だと再認識したのです。
今度はミステリーツアーを企画したいなー。