咀嚼というと、ただ単に歯で、ものを噛んですりつぶすだけ・・・と簡単に考えられるかも知れませんが、実は、そんなに簡単なものではありません。口の中の歯は単に物をかみ砕く道具ではないのです。例えば、食事中にご飯の中に、1本の髪の毛が混じっていても、それを認識できるくらい歯は敏感な感覚を待っています。「歯は口腔内の感覚器官」であると発表されています。
人の歯は、歯槽骨のくぼみである歯槽内に歯根膜という『ハンモック』で吊り下げられていて、一種の橋桁のない浮き橋のような構造をしています。歯槽内の水位が揚がれば、歯列は浮いて来るでしょうし、水位が下がれば歯列は締まってくるでしょう。
このような仕掛けをもつ歯は単に物を噛み砕く道具ではありません。咀嚼中の食べ物が、噛み砕かれていく状態を読み取って、刻々と変わる食物の形状を口の中の神経受容器を通じて、脳に送りだし、それに見合った咀嚼の運動指令が脳から口の筋肉に伝えられて、噛み方を変えながら、咀嚼が続行されているのです。そして、分泌される唾液で、のみ込み易い食塊が作られて食道に送り込まれます。
その一連の機能が「咀嚼」というわけです。
「咀嚼機能」は「咀嚼システム」としてプログラムされています。単一なもので出来ているのではありません。複数の、機能の異なるものが統合されて、一つの大きな機能を営む総合的機能体であると言えます。
1つには、直接ものを噛み潰すことを担当する歯、歯を支える顎、顎骨を動かす筋肉(咀嚼筋)、上下の顎が関連して動く顎の関節、咀嚼中に動いて、食物を上下の歯の間に運ぶ役目をしている舌、噛み潰された食べ物を混ぜて小さな塊にする唾液を分泌する大小の唾液線などが含まれます。これらを総称して咀嚼システムの「末梢効果器系」というのです。
2つには、感覚の入力系が挙げられます。感覚入力系は、咀嚼中に末梢効果器系の歯根膜や口腔粘膜内に含まれている刺激(痛い、熱い、冷たい、圧感覚などの)刺激を受け取る器官、舌の表面の味蕾(甘い、辛い、酸っぱい、苦いなど)、それに咀嚼筋の内にあって顎の動きを感じる筋紡錘などとその感覚情報を脳に伝える感覚神経から成り立っています。
3つには、感覚情報を処理し、筋への運動指令をつくる中枢神経、つまり、大脳皮質、脳幹、脊髄が挙げられます。咀嚼にかかわる大脳皮質系の神経細胞は、脳を前頭葉と頭頂葉とに分ける脳の溝(中心脳溝)を挟んで、この溝の下方部にあります。そこを咀嚼に関わる咀嚼領野(ローランド領野)と呼んでおります。その中心溝の後ろには、1次感覚細胞集団があり、溝の前は運動細胞集団が占めています。
咀嚼中に末梢効果器系内に発生した感覚情報は感覚入力系を経由して、この1次感覚運動野の細胞に運こび込まれます。この咀嚼情報は、ここで運動情報にフィードバックされて、運動神経を経由して、末梢効果器の咀嚼筋に伝えられ、筋運動をコントロールしているのです。
脳に入力される感覚情報は、口腔内の咀嚼状況に見合って刻々と変化しているので、これを的確に捉えて、それに見合った咀嚼指令を送って咀嚼を続けさせています。
また、口から送られてくる咀嚼情報は、脳幹のレベルで、反射的に咀嚼に関連した脳神経核の運動細胞に伝達されて、咀嚼運動が効果的に遂行されるのを助けているのです。
また、口から来る感覚情報は、直接、頚髄(けいずい)の前角の運動細胞に達して、首の後ろにある首の骨と頭の後方部を結ぶ小さな「後頚筋」の運動をコントロールして咀嚼しやすいように首の後ろの位置を維持しているのです。
咀嚼システムは、①末梢効果系、②感覚入力系、③中枢神経系の3つの大きな機能で密接に結びつき、相互の関連によって機能し、人の生命を維持するための巨大システムなのです。
参照:「噛む効用」~咀嚼のサイエンス
窪田 金次郎 著