高岡御車山祭。宵祭りには、山蔵から曳き出された御車山が山宿前に運ばれ、最終の飾り付けの後、入魂式など修祓神事が行われます。入魂式が終わると、神様の依り代である人形たちの顔を覆っていた布がとられます。人形たちが生き生きしていくように感じられます。
宵祭りの夜の町はいつもと違い、神聖に感じます。町全体がふわっと、御神気に包まれて幻想的で不思議な感覚です。

提灯のあかりのもとで、幽玄な世界を楽しんでいただこうと、守山町のニッセンビルのテラス席に能舞台を作りました。間近で演目を鑑賞します。

高岡市と能楽の関係は、主に江戸時代に遡り、加賀藩2代藩主前田利長公の33回忌法要の際に、金沢から能楽師を招き、能が奉納されたのが始まりと言われています。
笛の音や鼓の音が、体の奥に響き、謡の何とも言えない音階が、幽玄の世界へと誘い、演目の舞囃子の「猩々」は一番の盛り上がりを見せました。

場所を変えて食事会へ。
各テーブルでは、高岡能楽会の先生を囲み、いろいろなお話を聞くことが出来ました。御料理は、山町筋の一角にある国登録有形文化財「佐野家住宅主屋」に店を構える「Ahora Aqui(アオラキ)」さんのお弁当と、紅白なます、赤かまぼこと昆布かまぼこなどでお酒も進みます。

高岡にいながらも、なかなか馴染みの少ない「能楽の世界」に親しめて、皆さんに大変喜んでいただけました。宵祭りに相応しい
素敵な会になりました。
毎年5月1日は、山車が町を巡行する高岡御車山祭。
加賀藩2代藩主前田利長をまつる高岡関野神社の春季例大祭です。
1588年、豊臣秀吉が、後陽成天皇を聚楽第に迎え奉る際に使用した御所車を、前田利家公が拝領し、前田利長公が1609年に
高岡城を築くにあたり、町民に与えられたのが始まりだと伝えられ、この御所車に鉾を立てたものが御車山です。
7基の御車山には、彫金・漆工など高岡の伝統工芸の粋を集めた豪華な装飾が施され、その美しさは「動く美術館」と称されて
います。

御車山を見ようと、通りから少し入った場所に入ると、前から一文字笠に紋付裃の正装の供奉者が現れました。タイムスリップ
したような感覚になります。供奉者が先導しながら御車山が巡行していきます。

奉曳の途中、山役員宅の前で、神楽を奏する「所望」を行います。
いつもながら、こんな細い通りを御車山が通るなんてすごいなぁーと感心します。曳き手たちの力強い掛け声と車輪がギィーと
軋む音。曲がり角は、御車山を持ち上げて曲がります。曲がり角では、前輪を全員で持ち上げて山車をほとんど引きずることが
ありません。すごい、車輪が浮いてる‥。観客から歓声が上がります。

「山町」のうち、通町・御馬出町・守山町・木舟町・小馬出町・二番町は1町で1基の山車(やま)を保有し、一番町・三番町
・源平町の3町は「一番街通」の山車を共有しています。また坂下町は山車ではなく、御車山を先導する獅子頭・源太夫(げんだい)獅子を保有しています。
この7基の御車山の「本座」とは、御車山屋台の中心に安置される大型の人形のことで、神の依り代とされ、
・通り町は、「布袋和尚」
・御馬出町は、「佐野源左衛門」
・守山町は、「恵比須」
・木舟町は、「大黒天」
・小馬出町は、「猩々」
・一番街通は、「尉と姥」
・二番町は、「千枚分銅」
小馬出町は、能楽の謡曲「猩々」から、商売繁盛の象徴として「猩々」の像を本座に置いています。

一番街通の「尉と姥」は、謡曲「高砂」に登場する老翁と老婦のことで、夫婦和合や長寿の象徴として知られています。

御馬出町の「佐野源左衛門」は、能樂「鉢木(はちのき)」に、ちなみ、「佐野源左衛門」と、その前に松と梅の鉢と木を
置いています。

守山町山車の本座の人形は、恵比寿。右手に釣竿を持ち、左脇に鯛を抱えています。お顔を見ると笑っておられます。
あやかりたい・・・。

二番町には本座人形はなく、守護神は熊野権現。熊野神社を表す鳥居が置かれ、「宝庫」の金文字の扁額が掲げられています。
鳥居の笠木の両端に二羽のカラスが止り、社殿にあたるところには、金箔押し仕上げの「千枚分銅」を飾っています。
この千枚分銅は秀吉の財力の大きさを象徴しているのだそうです。

夕方、関野神社に各町の御車山が集まり始めました。曳納の奉納が行われ、その後それぞれの山宿へと帰っていきます。
前を通っていく御車山を見ると、本座・相座には頭巾が被せられていました。初めて見ました。人形の顔に袋が被せられている
姿に、あ〜祭りは終わったと実感しました。

曳手の皆さんも、山宿までもう一息、
お疲れさまでした。
交通規制が解除されたのか、曳山の前や後ろに車がいるという不思議な光景。タクシーと絵巻から出てきたような御車山が
一緒に信号待ちをしていて、同時に動き出すというのは、不思議な感じです。

また来年・・・。
ありがとうございました。