いちばん大切なことは、一生懸命、生活すること。
一生懸命したことは、純粋であり、もっとも美しく、尊いことです。
・食は日常
だれもが心身ともに健康でありたいと思っています。一人の力では大きなことは出来ませんが、少なくとも自分を守るというのが、「一汁一菜でよいという提案」です。人間は、食事によって生き、自然や社会、他の人々とつながってきたのです。食事はすべての始まり、生きることと料理することはセットです。暮しにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱になるのが食事です。一日、一日、必ず、自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。それには、一汁一菜です。一汁一菜とは、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型です。

・食べ飽きないもの
ご飯と味噌汁のすごいところは、毎日食べても食べ飽きないことです。どんなにおいしい料理も繰り返し、食べたいとは思わないものです。ところが、ご飯に味噌汁、漬物は毎日食べても食べ飽きることはありません。食べ飽きないご飯と味噌汁、漬物は、どれも人間が意図してつけた味ではありません。ごはんは、米を研いで、水加減して炊いただけ。日本で古くから作られてきた味噌は微生物が作り出したもので、人間の技術で合成した美味しさとは別物です。人間技では出来ないのです。
味噌や漬物が入ったカメの中には微生物が共存する生態系が生まれて、小さな大自然が出来ています。味噌や漬物という自然物は、人間の中にある自然、もしくは、自然の中にいかされている人間とであれば、無理なくつながることができるのです。自然は自然とよくなじむ、このことを心地よいと感じます。その心地よさに従って、命を育んできたのです。特定の風土によって育まれてきた民族の智恵である食文化とはそういうものです。

・自分の身体を信じる
ご飯や味噌汁を美味しいと感じて受け入れるのは、私たちの「身体」です。ご飯を食べ、味噌汁を飲んでいるとき、おいしさ以上の何か、心地よさを感じていると思うのです。それは安心感でしょうか、癒しでしょうか。感じ方はいろいろですが、少し幸せな気持ちになれるものです。
一口食べるなり反射的においしいと感じるものは、舌先と直結した「脳」が喜んでいるのだと思います。
そのように「脳」が喜ぶおいしさと、身体全体が喜ぶおいしさは別だと思うのです。
すぐにはわからず、食べ終わってから感じる心地よさのような感覚、身体がきれいになったような気がする・・・というのは、一つ一つの細胞が喜んでいるのです。それを身体の心地良さで伝えてくれているのです。
一方で、その穏やかなやさしさに、脳は気がつかないことが多い。どうも脳と言うのは、身体と反対の方向を向いていることがあるように思います。
「おいしい」にもいろいろあります。家庭にある普通のおいしさとは、暮しの安心につながる静かな味です。穏やかで地味なもの。なんの違和感もない安心している姿だと思います。
私たちがものを食べる理由には、おいしさだけが目的ではありません。情報的なおいしさと普通的なおいしさとは区別するべきものです。全く別物であると理解して、食を選ぶのです。エネルギーが無くなると身体は動かなくなります。人間は、命を作るために料理をし、元気をつけるために食べ物を食べるのです。人間の「食べる」は、表層的な美味しさだけをもとめているのではない。無意識の身体はそれをすでに知っており、穏やかな心地よさとしてゆっくりと脳に伝えています。

・簡単なことを丁寧に
家庭料理は、手を掛けないもの。それがおいしさにつながるのです。素材を生かすには、シンプルに料理することが一番です。食材同士を組み合わせて、別の味を作ることや、いろいろな香辛料や調味料で味を重ねて美味を作るという考え方は、そもそも日本的な考え方ではありません。それは西洋の考え方です。和食の背景には「自然」があり、西洋の食の背景には「人間の哲学」があります。
調理の基本である下ごしらえを手間とは言いません。泥を落とさず生のまま大根をかじることはありませんから、泥を洗い、食べやすく切って、火を入れる。これが基本的な流れにあるものは手間ではありません。当たり前の調理です。家庭料理、日常の料理は、こうした当たり前の調理以上にはそもそも手をかける必要はないというのが本当です。手を掛けることは手数を増やすことでもあって、食材に触れれば必ずその分だけ傷み、鮮度が落ちます。毎日の料理は食材に手を掛けないで、素材をそのままいただけばよいのです。

・料理をすることの意味
「毎日の食事をきちんとしたい」と思っている人は大勢います。それは、私たちが「食べる」ということの大切さを心のどこで感じ、無意識の身体で知っているからでしょう。
「食べる」ということは、「食事」という営みの中にあることで、単に食べることが「食事」ではありません。食べるための行為のすべてを「食事」と言います。買い物をし、下ごしらえをする、調理をする、料理、食べる、片づけをする。この毎日の繰り返しが「人間の暮らし」であり、その意味は、やがてそれぞれ美しいかたちになって現れてくるものと信じます。
人生とは、食べるために人と関わり、働き、料理して、食べさせ、伝え、家族を育て、命をつなぐことです。

出典 「一汁一菜でよいという提案」 土井 善晴 著